家の近くに公共のスポーツ施設があって、そのグラウンドでは老若男女が野球やサッカーで汗をかいている。遠目に見えるテニスコートでは、大学生が部活動に汗をかいている。
野球の監督やキャッチャーのサイン。サッカーの足捌きや球際の競り合い。テニスのラケットで返球する時の捻りや重心移動。
ダンスに必要な身体の強さ、振付のアイディア、ハッキリとした達成目的(球を打ち返す、ボールをゴールに入れるなど)への身体的な工夫を感じる。ダンスにおける身体性に様々な角度からフィードバックすることができる。
人の日常生活をフィジカルな感覚で見ていると、ダンス的な魅惑を感じることが私には多々あるが、それとは反対に、ダンスを観ることで、観た人自身の(スポーツを含む様々な)日常生活での新たな発見に繋がったりする人はいるのだろうか。それとも、ダンスは非日常的な身体表現ということで、日常生活からはみ出たものとして扱われるのだろうか。
そんなことをブログで書こうと思案していたら、緊急事態宣言でグラウンドから人がいなくなった。不安やストレスを抱えて1年暮らしてきて、さらにまた補償のない我慢を強いられている。多くの人が悲しみや憎しみを抱いて過ごすであろう、これからの時間。私も例外ではない。
しかし、そこにもダンス的な魅惑が潜んでいるように思える。私たちの日常は、フィジカルだけではなく、メンタルも充分にダンス的な魅惑を持っている。スポーツに汗を流すポジティブさも、思うようにスポーツができないネガティブさも、ダンス的な魅惑になる。
いつかまた舞台で踊れる日が来たら、この月日の体験をふんだんにダンスに投影するつもりだ。
私はそうやって、どんなことがあっても日常とダンスを切り離さないようにして生活していく。そして、観た人が「日常とダンスを切り離さないようにしたい」と思うダンスを私は踊りたい。
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