このコロナパンデミックで、東日本大震災の頃の様子がフラッシュバックしている。
あの時とは違い、今は家族がいるから、こんな情勢でも強い気持ちでいられるが、当時の気持ちはそうではなかった。
あの時、私は東京にいた。忘れられないことがいくつもある。
震災の翌日、ほぼ始発だというのに満員の電車。
皆どうにかして無理やりにでも"いつも通り"のことをやろうとしている、と感じた。
私の前に立つサラリーマンは念仏を唱えている。
優先席に座る年配の女性2人組は、昨日の地震・津波・原発のことを興奮した様子でおしゃべりしていて、その2人を「うるさい!静かにしろ!」と怒鳴るおじさん。
私は、震災当日もその翌日も朝からバイトをした。
そんな時でも必要とされる仕事であったし、何故だか積極的に働く意欲があった。
しかし、家に帰っても、倒れた家具や鉢植えを直す気にはなれなかった。
震災の約1週間後に沖縄・名護での舞台の仕事が入っていた。
名護の劇場の人たちが「こんな時だからこそこっちに来なさい」と言ってくれて、私は東京から逃げるような気持ちで、倒れた鉢植えをそのままにして沖縄に行った。
沖縄に到着した日、劇場の人たちが沖縄を案内してくれた。
タコライス発祥の店。普天間基地。
複雑で深い歴史とその問題を目の当たりにしながらも、どこにいっても沖縄の空は広く、気持ちが良かった。
その夜、ホテルについた途端に気が抜けるような脱力感にみまわれた。
そして、鼻を噛んだ瞬間に背中を痛めた。ギックリみたいなやつ。
自分の精神状態を表すように、身体がずっと緊張して強張っていたことを実感した。
気持ちの解けで安心したのも束の間、「このままじゃ踊れない!」と焦りが襲ってきた。
翌日、劇場のサポーターみたいな地域住民の比嘉さんという方が接骨院を紹介してくれて、そこに連日通いながら稽古をすることになった。
あの時の比嘉さんと、名護でお世話になった方々の優しさは、忘れられない。
オススメの沖縄そばも、ぜんざいも本当に美味しかった。
孤独とは、実際に1人かどうかではなく、独りだと感じてしまうことを言うのかもしれない。
震災の時の私は、沖縄の人たちの優しさに助けられた。
社会活動の制限を求められる現在では、孤独という感覚を何かしらへのふれあいでどうにかしようとしても、ソーシャルディスタンスという壁が立ちはだかっている。
あの時のように、誰かが手を差し伸べることが難しくなってしまった。
災害や危機的状況に脆弱な現代社会だ。
コロナがもたらした強烈な孤独に、コンテンポラリーダンスはどうやって向き合っていけるのだろうか。
ダンスは手探りで探求していく表現だから、この課題もまた、手探りでやっていくしかない。
思った以上に、身体は心の機微をダイレクトに反映しているということを、私は東日本大震災の時に体験した。
あの時に感じた不安や孤独は、私の身体に強い影響をもたらした。
心というのは、骨や筋肉のように、実際に存在しているわけではないけど、決して曖昧な存在ではないというのは、身体が一番よく知っているんじゃないかと思う。
心の機微が、行動や言葉として表現され、人の日常を形作っているのだから。
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