というのは私の持論ではなく、最近読んだ本の中の一節。数百ページある本の中のこの一節が、私が私と向き合う大きなきっかけを与えた。それを書いてみようと思う。
自分とダンスが歩んできたこれまでを「夢」と「憧れ」をキーワードに検証してみる。
ダンスをやりたいと思ったのは、初めてダンスを体験した時の充実感が他の何にも代え難いものだったからだ。そういう体験から、生涯踊り続けたいという「夢」へと展開していった。あの時の充実感に溢れた昂りは強い原体験であり、今でも踊るたびに同じような感覚になる。まさに自愛。
ダンスを続ける中で、いろんなスタイルの振付家やダンサー(および他ジャンルの表現者)に出会い、「憧れ」が生まれた。真似事なんかもしてみたりするけど、そういうのは大体上手くいかないし、逆に辛くなったりする。
私は、自分の「夢」にコンプレックスや引け目を感じることはないが、「憧れ」にはコンプレックスや引け目がつきまとう。「憧れ」は無い物ねだりであって、後に必ず自己嫌悪が襲ってくる。辛くなったりするのは、できないことと正面から対峙することになるからだ。
「夢」が原動力になっていた行いについて振り返ると、その行いは私自身を支える軸のような存在になっている。一方、「憧れ」が原動力になっていた行いは多々あるが、そのほとんどが上手くいったとは言えない。紐解いてみれば、私は「夢」や「憧れ」から直感的に行動し、その先で自分の自愛や自己嫌悪に気づくようだ。
しかし、私にとって「憧れ」は栄養補給という役割もある。他の表現者の真似をしてみたりすることが、私自身のダンスを見つめ直すことに繋がっている。「憧れ」を通して得た自己嫌悪もまた、私の表現である。だから、「憧れ」も必要だ。
自己嫌悪から発せられる「憧れ」を見過ごさず、自分の現在地として確かめながら鍛錬を積み重ねることで、自愛から発せられる「夢」の軸をより強くしていく。
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