20代の頃は、あまり趣味というものが持てず、つまらない人生送っているな…と感じることもありましたが、そんな頃とは打って変わって、いくつか趣味がある現在です。
「毎朝コーヒーを淹れる」というのもその1つ。
ミルの中で豆がぴょんぴょんと跳ねながら、ガリガリと音を鳴らして削られていく姿。お湯を注ぐと蒸らされてポコポコと泡を吐き出すドリッパーの中。身体で真似してみたくなるほどに魅力的です。フィルターとドリッパーの狭間を水滴がするりと落ちていく様子も、毎日見ても飽きません。(透明なプラスチックのドリッパーなのです)
もう随分前の話になりますが、1年ぐらい妹と一緒に暮らしていた時期がありました。彼女にとっては念願の上京で1人暮らしを希望していたのですが、親からすると不安があったようで、とりあえず私と住むことになったのです。
その頃の私は、缶コーヒーのブラック微糖をよく飲んでいました。甘い缶コーヒーは子供っぽくて格好悪いけど、ブラックは苦すぎて飲めない。“微糖”がバイトや稽古の合間に飲むのに最も都合が良かったのです。
しかしある日、妹がブラックコーヒーを自分で淹れて飲んでいることに気づき、兄として大きなショックを受けました。“微糖”な自分に「大人になったなぁ」なんて感じていた私は、さも当たり前のように“ブラックコーヒー(しかも自作)”な4歳下の妹に完全に負けました。あの時の強い敗北感が、私を加速度的にコーヒー好きにさせました。妹に感謝。
コーヒー豆は特別なお気に入りがあるわけではなく、ふらりと立ち寄ったお店のポップを見てそそられるものを選びます。味を果物に例えているポップが多く、コーヒー豆が果実であるということに改めて気づきます。いわゆる果物とコーヒー豆のイメージの差異に、不思議な魅力を感じます。マシーンとか淹れ方とか焙煎方法とか、そういうこだわりまでは深入りしませんが、いろんなマグカップへの憧れは強くなりました。缶コーヒーは全く飲まなくなり、少し前までは頻繁に飲んでいたコンビニの100円コーヒーもあまり飲まないようになってきました。
家族で散歩に行き、コーヒー豆のお店を見つけたら立ち寄ります。そうやって選んだ豆を使って、朝は必ず2人分のコーヒーを淹れます。子供がいるからゆっくりとはいきませんが、2人で飲むコーヒーは静かな幸福です。
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