ヨーロッパと日本では、コンテンポラリーダンスという言葉の意味合いが少し違います。
ヨーロッパでは、そのほとんどがクラシックバレエを対軸にして語られ、
基礎としてバレエの素養を身につけつつ、
そこから逸脱したりしながら新たなスタイルのダンスとして発展しています。
そうでない身体表現の多くは、アヴァンギャルドとか、アンダーグラウンドと呼ばれています。
対して、日本のコンテンポラリーダンスはクラシックバレエを対軸に語られることが少ないです。
多様なダンスのキャリアから新たな表現を切り拓いたダンサーや振付家もいるし、
特にそういった技術や基礎の蓄積の無いような表現者もいました。
「既存のテクニックや型に囚われない、個々人の身体的特徴を存分に活かせるダンス」として
独自の存在価値を築いてきました。
要約すると「誰でも踊れる可能性」を秘めたダンスです。
日本の舞台芸術の多様な潮流の中で既存のジャンルに当てはめられない、
現代的、或いは今日的(=コンテンポラリー)な身体表現の受け皿として機能してきました。
非常にテクニカルな作品も、地域参加型の作品も、
どちらも同様にコンテンポラリーダンスと呼ぶことができます。
「誰でも踊れる可能性」を保持することは、
型の追求により技術・表現力を磨いていくクラシックバレエなどとは一線を画する、
コンテンポラリーダンスが担う重要なミッションではないかと思うのです。
文化庁の採択
文化庁による助成事業『平成30年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業』で、
コンテンポラリーダンスの事業の採択が0だったという記事が新聞に掲載されました。
今年度の舞踊部門での採択事業
○応募件数10件
○採用5件【舞踏1件・現代舞踊1件・クラシックバレエ3件】
この結果に対して多様な意見や所感がネット上で飛び交い、
その中には、コンテンポラリーダンスの「誰でも踊れる可能性」を危惧する意見もありました。
文化庁が求めたものは、「技術や基礎に裏づけされた確かな表現としてのダンス」だったのでは
ないかと推測します。
そう考えると、「誰でも踊れる可能性」を秘めたコンテンポラリーダンスが採択されなかった
という説は確かに考えられます。
しかし、コンテンポラリーダンスが目に見える形の技術や基礎に裏づけされた表現でなくては
ならないなら、ジャンルとしては既に形骸化されてしまっているのではないでしょうか。
なぜなら、それは既存のダンスの枠におさまった表現と変わらないからです。
コンテンポラリーダンスと銘打っておきながら、
そういったダンスをつくった人たちはきっとこう言われるでしょう。
「あれはバレエ(モダンダンス、ストリートダンスなどとも置き換えられる)と何が違うの?」
助成金に応募するにも、コンテンポラリーダンス以外のジャンルとして応募するのではないでしょうか。
既存のダンスの枠の中で比較した方が、より先駆的な表現に映るからです。
誰でも踊れる可能性
「誰でも踊れる可能性」というのは、決して安易なダンスだというのではなく、
ダンスという身体表現の核心を突く根本的なテーマです。
今回の文化庁の決定は技術至上主義の傾向にあるような気がします。
こういう結果となってしまったことは非常に残念です。
しかし、日本の現在の政治・経済状況では、この評価軸は年々強まっていくでしょう。
その上で、コンテンポラリーダンスの「誰でも踊れる可能性」を問題視するなら、
それはコンテンポラリーダンスへの理解が足りていない行政と同じ立場をとるということです。
コンテンポラリーダンスの「誰でも踊れる可能性」を危惧する意見を述べている人の中には
ダンサーもいます。
『コンテンポラリーダンス=「誰でも踊れる可能性」を秘めたダンス』ではないことを
証明するような力を持った創作をきちんとして欲しいと思います。
コンテとはレッスンでよく使用される略語であるが、コンテンポラリーダンスのことではない
プロにはプロの価値があります。
しかし、そうでない人でも振付を作ったり、踊ったりできるのが肉体の魅力であり、
ダンスの本質的な姿です。
プロとアマチュア、老若男女、多種多様な背景を持つ人たちがいろんな形で関わって、
その時代、さらに次代の身体表現を模索していくことができる、
その前衛性が日本のコンテンポラリーダンスの肝です。
しかし、コンテンポラリーダンスが今後助成金を獲得していく為には、
コンテンポラリーダンスが持つその広い器に頼らず、
より深く細かな、ダンスへの鋭い批評眼に基づいた事業の提案が必要なのでしょう。
ただ、そんな時代の最先端に適応した助成枠が文化庁から生まれるかどうか、
または身体表現という分野の芸術の奥行きを理解できる制作者、文化行政官、
審査員やダンサーがどれだけいるかは疑問です。
それでも、これからの日本のコンテンポラリーダンスには、
潤沢な予算がなくても良質なダンス作品を創り、良いダンサー・振付家が育ち、
ダンス文化の発展へと向かう自力を養うことが必要となってきています。
厳しい現状ですが、だからこそ表現の自由が保証されるという側面もあります。
コンテンポラリーダンスをジャンルとして一括りにしてしまうから頭が固くなってしまうのです。
人それぞれ、表現の形が違うのは当然のことで、人の数だけダンスの数は存在すると言えます。
その中で、表現者は自分のことをやればいいだけです。
技術や基礎のように、集客数や収益など目に見える数値的な成果を
一番に重要視する必要はないのです。
コンテンポラリーダンスへのサポートは、
その可能性を広げてくことと専門性を深めていくこと、その重層が必要です。
私自身もこれまで多くの助成金やサポートプログラムに申請してきました。
新進芸術家の育成とか、創造活動支援とか、
そんなような名目でいくつかサポートプログラムがありますが、
逆になぜサポートしたいと思っているのか。助成したいと考えているのか。
行政のみならず、いろんな団体に対して聞いてみたいと以前から感じています。
どうのこうのといろいろ考えてみても、
コンテンポラリーダンスに文句を言うのはナンセンス。